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10日いまだに引っ越し先がわからずもやもやとする日々が続いている。今日は日払いのアルバイトだった。疲れ切った帰り道、なにかひとつでもかわいいものを買わないと自分の大切な部分が削り取られたまま戻らない気がして、新しいカバンと時計とDHCのグリーンのアイシャドウとハンカチを買った。別れた恋人の好きそうなカバンと好きなブランドのハンカチだった。こうやって見えないところで影響を受け続ける。仕方ない、人が人を好きになるというのはそういうことだ。見えない影に悩まされ踊らされ続けて、新しい恋に気づいたころにはかつての自分の踊り方さえ忘れている。嫌いなやつのことはいくらだって忘れてやるけど、大好きな人は絶対に忘れてやらない。こんな形で憎しみより強い愛情を思い知らされる。人がその過程を呪いと呼ぼうがぜんっぜんかまわない。随時更新されていく悲しみに負けないようにと、お守りとして持っている愛情を、いつまでも抱いていたいようなすぐにでも手放したいようなどちらともつかないところで道に迷っては持て余している。

 

今日は「桐島、部活やめるってよ」を観た。モブキャラだった中学時代を思い出しては身がよじれそうだった。6人一組の班作りでギャル2人と運動部のエースの男子3人と同じになったときは本気で死を考えた(給食をその6人で食べなきゃいけない)。高校でスクールカースト1.5軍になってからは1軍の孤独も2軍のなれ合いも無くてそこそこ楽だった。軽音部の副会長で特進クラス、年上の彼氏もいたけど音楽の趣味だけが絶望的なまでに少数派だったからカラオケにはあまり行かなかった。モブ以上主役未満になることがハッピーエンドの近道だともっと早く教えてもらいたかったし、映画の中の彼らもそのうちそれを学ぶだろう。終始橋本愛の美しさとバトミントン部という設定の完璧さにうそくささを感じていたが、スクールカースト下位のものから見た上位のもののまぶしさって、あんくらい強かったよなぁとしみじみ思い出した。


映画『桐島、部活やめるってよ』予告編

 人と話すことはインプットとアウトプットを繰り返すことだ。毎週末のように恋人と繰り返してきたやりとりをなくした今、インプットの欲望を満たすためだけに毎日映画を見続けている。

 

23時からはEテレでやっている浦沢直樹の「漫勉」を観た。花沢健吾アイアムアヒーローの書き込みをみて感じていたことがそっくりそのまま話されていてすごくすっきり。それにしてもいつ見ても漫画が人の手で描かれる工程には感動させられる…。皆さんが読んでいる漫画、あれ人の手で作られてるんですよ?やばくないですか?漫画が500~1000円強の価格帯で買える奇跡にマジ感謝です。Eテレいつも面白い番組ばかりやっていて、引っ越したらEテレと嵐の出ている番組しか見なくなる気がする。