来月姉の結婚パーティーに出席する予定なので、いっちょここらでと思い立ち美容室とネイルサロンに行ってきた。髪を染めるも、髪の色が変わっていない。美容師の仕事にかける思い入れや使っているアイロンやハサミの値段を聞いて驚きつつも適切な相槌を打っていたこの二時間はいったい何だったんだ。もしかしたら今日ヘアカラーの予約であったことが伝わっていなかったのでは?と錯覚してしまう。カウンセリング時に3cm切って色のトーンを上げてくださいとお願いしたのに、最後自信満々に「1cm切りました!色は今回は控えめにしました!」と言われた時に「いやいや、違うじゃないですか~!」と陽気につっこめればよかった。初めて担当してくれた美容師に対する遠慮と、30分以上時間がおしていて後の予定に支障が出そうという事実が完全にわたしを黙らせてしまった。その後会った友人には「わぁ~なんか、メンテナンスしましたって感じ……?」と言われた。わたしはメンテナンスじゃなくてイメージチェンジがしたかった。ちょっと髪をツヤツヤにすることに数千円払えるほどの経済力はないし、この髪の毛にちょっとのツヤツヤ以上の何かを感じ取れるほどわたしは繊細じゃないんだ……

 

友達とサイゼリヤでご飯を食べた。みんなそれぞれ「ふつう」なんてものが存在しないことをよくわかっている。出身地も家族構成も環境も性別も違う人たちをどんなに均したってそれはあくまで平均でしかなくて、平均はふつうとイコールではない。10年もお互いのことを見つめ続けているのに、会えばまだ話したいことや伝えたいこと、知ってほしいことが出てくるのが不思議でたまらない。そしてどんな話題のときでも「いやそれはわかんないわ」と言えるのが快適だ。社会に出てから気づいたけれど、同調を求めない人間関係は意外と貴重。それにしても高校生の頃一緒に弁当食べてた人たちと、まさか10年後もサイゼでご飯食べてるとは思わなかった。サイゼリヤで好きなメニューはエビと野菜のトマトクリームリゾット、生ビール、キャベツとアンチョビのソテー、イタリアンプリンです。

 

少し前(10/21)に書いた記事だけアクセス数が以上に多い。よくわたしは家庭環境の話をするときに「めずらしい話じゃないんだけど」という前置きをしてしまう。最初は聞いた相手に気を使わせたくないからかな、とかかわいそうと思われたくないからかな、と考えていたけれど、父親に怒鳴られたりぶん殴られたりしておびえながら12年も実家で過ごしていたことをかわいそうと思うのはそこそこ妥当な気がする。かわいそうがられることを嫌がる人は多いけど、わたしはそれはあまりストレスではないので、かわいそうがるかどうかはこの件に関しては自由にしてください。しばらくこのことについて考えていなくて、単に口癖なのかなと思っていたけど、今日改めて思い返すと、様々な出来事の因果関係を家庭環境と結びつけないでくださいねという意味かもしれないなと思った。非行に走る理由が片親だから、とかじゃないけれど、わたしが年の離れた異性とばかり付き合っていたとき「父親からもらえなかった愛情が~」とよく言われていた。不都合な出来事や理解できない性質が見えた時に〇〇だからこうなんだ、と関連付けをしたがる人はそこそこ多いけど、結局そんな単純明快な場合じゃないことがほとんどな気がする。もちろん自分も無意識でやってしまってると思うけど。自分のことはもちろん、他人のこともできる限りミスリードしたくないな、と強く思う。そのための対話だし。


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