先週姉の披露宴に出席した。今年の大きいイベントはこれでおしまい。わたしは三人兄弟の末っ子で、3つ上の姉と5つ上の兄がいる。子供のころの記憶はあいまいで(そもそも子供のころっていつまで?)、わたしは別に上の兄姉と仲良くも悪くもなかった気がする。父親のことも兄は割り切っていたし、父と姉は仲が良かった。その頃、お小遣いで買った青いリングノートに毎晩日記を書いていた。どうして自分だけ暴力をふるわれたのかとか、うちはいつ離婚するのだろうとか、死にたいとか、家に帰りたくないとかそういう内容だった。一度だけその日記を引き出しに入れるのを忘れてしまった日、夜更かししてばかりのわたしの様子を見に来た母親が寝たふりをしているわたしの傍に置いてあったそのノートを開いてしまったことがあった。それ以降わたしは紙での日記を書くのはやめた。

 

姉は姉でわたしのことが苦手だったと思う。いまでこそかわいい妹として扱ってくれるけど、この関係は同じ家のなかでは成立しなかった。わたしは姉の我慢やプレッシャーや、わたしにばかり向いているようにみえた母親からの愛情(そのほとんどは父親がわたしに行ったことに対する罪滅ぼしからくるものだろうけれど)を理解する気はなかったし、いまでもそのことについて対話することはできても理解や共感はできないと思う。

 

違国日記の5巻を読んだ。朝は他人と自分の境界線がゆるくて、自分の感情を他者が完全に理解することを強く望んでいる。そしてそれを「ふつう」という言葉で表現したりする。普通こうじゃん、と。わたしはたまたま感情に問いかけをして分解する作業を教えてくれる人と付き合えたから、感情にはバックボーンがあって、生まれそだった環境も性別も年齢も、学んできたことも違う人間同士がそれをわかりあおうなんて果てのない作業だということに早々に気づけたけど、そうでなかったら今の人生に対してもっと苛立って、もっと許せないものが多かったと思う。なぜ悲しいのか、なぜ怒っているのか。わたしの感情にはわたしだけの都合とわたしだけの理由がたしかに存在しているのだ。自分の感情というのは、誰かに向けて言葉にするときに生じる歪みも誤解も一切なく、自分の心のなかにだけそのままの形で存在させることができる唯一のものだ。それを孤独と思うか、自由と思うかは人によって違うけれど、わたしは年をとるにつれて後者に変わっていっている。

 

姉は披露宴の日、今までの人生で一番美しかった。わたしにちっとも似ていない顔の姉。話は逸れてしまったけれど、姉の結婚をとても喜ばしく思う。それと同時に、わたしはたとえ建前だとしても、あの家庭に感謝して一抜けすることはしないだろうなと思った。できないわけではない、でもそうしてしまったら、きっとわたしはその事実に一生傷つけられる。時間でも諦めでもないなにかがいつかわたしと折り合いをつけてくれることを願っている。

違国日記 5 (フィールコミックス FCswing)

違国日記 5 (フィールコミックス FCswing)

 

違国日記、いま連載されている漫画で本当に一番良いと思うので全員読んでください。