最近、お風呂上りにすぐ布団に入るのは体温調節的な意味であまりよくないと聞いた。冷え性なので前まではとにかく体が冷える前に寝ないと!と意気込んでいたけれど逆効果だったそう。最近はお風呂上りに薬を飲んでストレッチをしてから布団に入り、短編小説の一編を読んでから目を閉じるようにしている。本を読みだすと集中しすぎてしまって、やめるタイミングがわからなくなって仕事の休憩時間を過ぎてしまったり電車を乗り過ごしたり、お風呂に入りながら二時間読んでのぼせたり、夜通し読んでしまい次の日の朝後悔してしまうことが多かったのだけれど、今のやり方にしてからは飲んだ薬のせいで眠くなり、文字通り強制終了させられるのでちょうどいい。しかしこれまた薬のせいでもうろうとしながら読んでるので、内容がどんどんあやふやになってくるので結局読んだのに読んでいないみたいな状態になる。快適な読書ライフが訪れる気がしない。

 

象は静かに座っている、を観に吉祥寺のアップリンクへ行ってきた。トレイラー通りの重たくて暗い映画で、観た後あまりに気持ちが落ち込んでごはんも食べれずにいた。ぎゅうぎゅうに乱立したアパートを抜け出してリンが少し歩くと、異常に広い道路と橋から見える大きな川。中国と言う街をわたしはあまり知らないが、不思議な縮尺の土地だった。晴れた空も、ひらけた地面もほとんどうつらない4時間のなかでこのでかい川が突如うつされたときにうわ、と思わず声が出てしまった。久しぶりに景色に、というより人間以外に対して美しいと思った気がする。

あと登場人物の誰もが自分と他者との関係を「奪うもの」か「奪われるもの」かの二択でしか見ていなかった。それはたぶん「誰も自分の言葉に耳をかたむけることがない」という諦めと逃げ場のない街が生んだ、虚しさの一種だと思う。ここじゃないどこかへ、と願う人が観るにはあまりに救われないし、なにかが好転することでしかカタルシスを得られない人はみない方がいいと思う。

ちなみに観ようと思ったきっかけはこのネット記事です。作品の完成から版権に至るまでの問題や、あらすじというもののかなりのネタバレが書いてあるので前情報なしで見たい人は読まない方がいいかもしれません。

chinabluehualan.com


映画『象は静かに座っている』予告

自らの経験や知識、愛情、時間、そういうものを費やしてなにかの形にすることができる人を本当に尊敬している。それは映像でも音楽でも、文章でも料理でも何らかの造形物でも。他人の作ったフィクションの薄皮を優しく削げばみずみずしく濁った、神様の汗みたいな、その切実なひとしずくにふれることができる。わたしは何かに詳しいわけでも、人に豊かさや知識や役に立つ情報を発信したりはできないけれど、ものを一生懸命作ってくれる人のことを考えたり、作られたものやそれにまつわる思い出を忘れないために書いている。映画を一緒に観た知人は、学生時代に地元の工場でアルバイトしていた時に機械に巻き込まれたせいで左手の指が2本ない。明日指が吹き飛んだときのために、どうやって文章を書く方法があるのか事前に調べておこうと思った。