11日昼には牡蠣を食べシャンパンを飲み、夜は同期と新宿でタイ料理を食べながらビールをあおりまくった。普段は4パック100円の豆腐と3パック100円の納豆を食べているだけだったのでおなかがびっくりしたのか体重がハチャメチャに増えて悲しかった。先日買ったピタピタのデニムがゆるくなるように明日はもう少し控えよう。

 

13日映画「ハッピーアワー」を観に久しぶりに地元へ帰った。

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驚異の五時間越え、普段家で映画を見ることが多いので映画館で五時間…と考えただけで若干腰が重かったのだけど、3月ごろに知り合った男の子に会って早々「ハッピーアワー的人間ですね」と言われたのが印象に残っていたので四か月越しの鑑賞。

序盤のワークショップのシーンから「人にふれる」「だれかの声や音を聞こうとする」映画なんだということはすぐわかったのだけど、こんなにも徹底してさびしさや他人にわかってもらう難しさを描いているとは思わなくて驚いた。彼女たちの怒りや悲しみのほとんどが、愛する人が自分を「見ようとしていない」ことにあることは自分も身に覚えがあるからよくわかる。男と話しているときだけに抱くあの虚しさとか諦めを一気に思い出して苦しくなるようなシーンがたくさんあった。(男と話してる時にしか感じないモヤモヤについてはヤマシタトモコのHERという漫画に詳しく書かれている) 

HER (FEEL COMICS)

HER (FEEL COMICS)

 

 

話し合うことによってわかりあえないことが分かってしまう、そういう恐怖を抱えて口をつぐんでいる女たちの姿は過去の自分にとても似ていて、女たちに置き去りにされる男たちの姿も哀れで情けなかった。話したつもりでいる男と、なにも届いていないと確信している女の間にある、絶対埋まらない溝みたいなのが手に取るように伝わってくる。わかってほしいのではなく、わかろうとしてほしい、という思いが声になることは結局一度もなく、彼女たちは本当のことを話さないままくっついては離れてを繰り返して誰かに少しずつすり減らされて生きている。話したつもりで、その実何も話していないことに気づいていない旦那のもとから初めに逃げ出した純を追いかけて、もっともっとみんな自由になって話したい言葉で話して勝手に幸せになればいいと思う。

 

もっと話そうよ 

目前の明日のことも

テレビ消して 私のことだけを見ていてよ

 

私がハッピーアワー的人間かはさておき、宇多田ヒカルのこの歌詞こそ彼女たちの本当の気持ちなのだと思う。

 

14日社会人一年目、初のボーナスで西村ツチカさんの絵を買おう!と思い立ちゲリラ豪雨のなか都心へ繰り出すも初日ですべて完売したとのこと。カルチャー貢献ババアになるには行動の速さも大事だと痛感した。

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15日思ってることをきちんと伝えられる男の子が世の中に二人だけいて、そのうちの一人と縁を切った。友達にも恋人にもなれず、だらしなくて名前のつけられない「好き」だった。この何日か前に、好きは三種類くらいでいい、あんまりたくさんあると疲れてしまうと話したのを思い出した。

仕事中職場に来ていた住職様が突如カバンから板チョコを取り出して、お嬢さん食べな!といったので思わず「米兵かよ!」とつっこみそうになりました。