論理と感性は相反しない (講談社文庫)

論理と感性は相反しない (講談社文庫)

 

 

「論理と感性は相反しない」という本に書いてあった「わかりあうことなんて求めてない。好き合うことを求めている。」という言葉の意味が全くわからないまま何年もたつ。好き合うよりもっとずっとわかりあうことの方が大切で、必要で、難しくて、ぜんぶだと思っている。誰かを好きだという気持ちでごはんを食べられなくなったことは一度もないけど、大切な人とわかりあうことができないと気づいたときは一睡もできなかった。誰かとわかありたいと思う気持ちだけでふらふら歩いていた私がもう来月に23歳になる。

私は結婚や恋がしたいのではなく、仕事や本や音楽の話をして一緒に暮らしていける人がほしいだけだった。私は人を愛する才能に少し恵まれていたせいで友人たちから「恋多き女」と揶揄されることがあった。けど、人を愛する才能と恋愛を楽しむ才能は全くの別物で、わたしにとって恋愛は楽しくて胸が躍るようなものではなく、ささくれのはじをひっぱられ続けるような痛みによく似ていた。

もし仮に恋人と一緒に暮らすとしても、その人のことを異性として好きでいつづけることは不可能だと思う。人の気持ちは変わるものだし、変わり続けるという自覚があるから、相手にとって「変化しない関係」という認識である限り結婚は空想上の出来事でしかなく、まぼろしを人生に持ち込むことはできない。

恋をすることはたしかに私自身を豊かにするけど、好きに付随してくるその他もろもろの感情と向き合い続けるのはあまりに心への負荷が大きい。ただ信じられないくらいキラキラする男の子との出会いが人生で何度かあって、そういうとき私はそのすべてを手に入れようとせずにはいられない。恋をすることと愛することと一緒にい続けることのすべてが違う線上にある事実を呪わずにいられないけど、それが現時点での自分でしかない。諦めるよりもっと意味のあることがあるはずだから、はやく目の前にひかれた無数の予防線の外に出たい。

ハッピーアワーで桜子が自分の旦那について「好きかどうかはわからない、でも愛している。」と話していた。

愛している、とはわかりあいたいという希望を捨てることができない、という意味だと思っている。

大森靖子『PS』@新宿 LOFT 11月13日