22,23日仕事が休みだったので京都に行った。新幹線から降りて歩いて七条まで。アマゾンでコーヒー飲んでから三十三間堂伏見稲荷大社では女子大生の自撮り棒に三回ぶつかった。京阪の車内はあったかい。駅ビルのスカイウォークを歩く、併設されたホテルのロビーには人が多くて座れなかった。その後は三時間かけて海まで行った。フィッシュマンズ山本精一サニーデイ・サービスのアルバムを順番に聴きながら、窓の外がどんどん色をなくして白と茶色だけの風景になっていくのを見ていた。

海は風が強くて、かための白の絵の具をぺたりと塗り付けたような空からほんの少しだけ雨が降っていた。遠くにきたなと思った。流れ着いた浮標と乾いた海藻だらけの砂浜は汚すぎて写真を撮る気にもならなかった。濡れた靴が重い。空気が冷たい。潮風と飛沫で前髪がへたる。雨粒が眼鏡のレンズについて前が良く見えない。私はどんな気持ちでここに向かってきたんだっけ。夜は泣き疲れてすぐに寝た。朝目が覚めて飲みかけだったビールを飲んだ。炭酸が抜けていて、冷えていないグラスに注いだからか、夏に安い居酒屋で飲んだビールの味にとても似ていた。二時間かけて市街地へ戻ってきた。円町で下車して大好きな金閣寺を観に行った。バスで下鴨神社まで行ったあと糺の森を抜けて鴨川デルタへ。出町柳の駅前で買ったピーナッツバターを挟んだフランスパンはとてもおいしかった。寒かったので六曜社でコーヒーを飲んで立誠シネマのまわりを歩いて河原町の駅へ向かった。新幹線に乗る前に駅の中でモスコミュールとビールを飲んだ。職場へのお土産だけを買って、小さな荷物で家に帰った。明日から九連勤だ。 

24日仕事がたてこんでいるためいつもより早めの出勤。展示会の搬入だったため肉体労働がメインな一日だった。段ボールや梱包材でなんども手を切った。おふろの石鹸がしみる。

25日展示会の販売で終日外出。偉い人と一緒だった。最近またごはんが食べられなくなってきたので、昼休憩に行くふりをして少し離れたところのスーパーを三周してコーヒーを一杯飲んでもどってきた。何食べたの?と聞かれたので向かいのラーメン屋ですよ、と答えたけど帰り道信号待ちをしていたら「本日休業です」の張り紙が見えて気まずかった。

仕事が終わってから目の見え方がなんとなくいつもと違う気がして早く寝たけれど、翌朝視界の半分くらいが暗く、テレビにうつるマツコデラックスが半分の大きさになっていたので休みをとって病院へ行った。いろいろお医者さんが話してくれるけど、朝早かったせいかぼうっとしてしまってあまり覚えていない。網膜剥離を起こしかけていて、失明するかもしれなかったから早く来てくれてよかったですよと言われそのまま簡単な手術をした。めがねをかけて生活しているので眼帯がじゃまで仕方なく、翌日からはもう外してしまった。その後は接骨院でこのあいだの事故のけがの経過を見てもらう。予定通り、順調に治ってきている。駅前でコーヒーを飲んでから婦人科へ。越してきてから初めて行った病院だったけど、「おなかのなかがぐちゃぐちゃになってしまってますね」と言う言葉に傷ついて家に帰ってから泣いてしまった。なんとかなるよ、っていうのはなんとかしてもらったことのある人が言う言葉だ。勇気を出して望みに手を伸ばせば望んだ分と同じだけ不幸になる。病院に行くたび保険証がほしいのと幽霊にならないためだけに仕事をしているなと感じる。悲しいのは好きじゃないし趣味じゃない。たまたまあてがわれて思いの外性に合っていたから捨てられなかった、他人から見たらただのごみだ。男の子たちがわたしを励ましにこぞって家までやってくる。ベランダで毛布をかぶって、もう二度と来ないでくれと願いながら見つめた向かいの屋上に朝日が射す。わかりきったオチを待ち続けるのは別れの場面と一緒だった。みんながみんな日差しの中でやっていけるわけじゃない。日差しにいる人のすぐとなりに名前も知らない誰かが存在している。好きな人に言いたいことはたくさんあった。食べたごはんの話や毎週見ているドラマの話、買おうと思って決めかねている服の色、佐川急便のお兄さんの名字が珍しかったこと。ぜんぶ知らなくたっていいこと。どっちを不幸にするかの二択で運よく選ばれた、それだけの話だけど。


ゆらゆら帝国 「星になれた」