指輪と肌のあいだにたまった汗で真鍮が色あせていく。長雨に肌が飼い慣らされたからか、暑いのか寒いのかがよくわからない。

 

雨が降るといつも嫌なことばかりを思い出す。ぐにゃりと歪んだガードレールを見るたび、どうせ飛んでこないミサイルよりもこっちのほうがよっぽどだと思い知る。なるべく部屋をきれいにすることでいろいろなものと向き合う時間を減らす。まぶしすぎたり、楽しかった思い出を取り出すには今の季節は忙しすぎる。話しても話しても埋まらない溝。お互いが溝を埋めるために持ち合った材料は、混ぜ合わせたら水になってしまうものだった。溜まった水は、雨の日には氾濫して日照りが続けば消えてしまうような、何の変哲もないものだった。

 

見違えるほどのスピードでだめになっていく自分を、大丈夫だなんてどうしても言えなくて、すべてうそにすり替わってしまうまえに全部なかったころに戻すしかなかった。海には干潟が続いていて、泥の中にあいた穴から小さな蟹が出てきていた。水に入るには、あとどのくらい歩けばいいんだろう。家に戻るのと、どっちが近いだろう。ハンドルを握った手が震えた。日焼け止めが混じった汗の匂い、通り雨のせいで中止になる午後の体育、腕時計を忘れただけでいつもよりずっと軽い身体、忘れてしまった前の家の郵便番号。つまらなかった映画も、エンドロールだけは美しかったことが何度もあった。自分みたいな人間が、家庭を作ったり、誰かを許したり、当たり前に幸せになれるかもなんて思いあがったからこんなことになった。こんな地獄に他人を巻き込んでいいはずがなかったのに。わたしのなかにいる愚鈍で卑怯な部分が恥を知れとささやく。

 

就職活動のとき、自分を一言で表現すると何になりますか?と聞かれたとき、わたしは「墓場」としか答えられなかった

 


麓健一/あるいはその夏は (2009.08.01) [FULL ALBUM