弊社の社内報には、毎月様々な店舗の人がローテーションでコラムのようなものを書かれている。たとえば最近はまっていることだったり、おすすめの本だったり、お客さんと接していてこんな発見があった、とかそんなことが小さな枠のなかに収まっている。同じ会社の中の顔見知りの人が、こんな文章を書くんだな、こんなことを考えているんだな。その内容に驚いたり、共感したり、忙しい。まえに東京医大の入試トラブルのあった時期に男性社員がレディースデーと女性専用車両を「男性差別」と表現していた時は何言ってんだこいつと思ったが。当然のことながらわたしはしがない販売員なので、自分の考えを文字にする場は基本的にブログかTwitterくらいしかない。会社の人はわたしの選ぶ言葉を知らないし、わたしがそもそも文章を書くことが好きだということもしらない。このブログを読んでいる人の何割くらいの人の顔や声を私は見知っているんだろう。おそらくほとんどを知らないけれど、手癖だらけのこの文章を読んでくれている人たちに対して、わたしは明確に親しみを持っています。

 

知り合いと喧嘩をしてしまった。わたしがたまたま彼の詳しくないことを話題にして、少しずつ補足をしたりおすすめのネット記事とか本を紹介しながら話していたら「ねぇ、俺のこと馬鹿だと思ってるよね」と急に言い出した。そんなことないよ、と言ったあとに「あなたとわたしはお互いの知識や関心の領域が全然違うし、わたしだってあなたが詳しい分野の話は知らないことばっかりだよ」と話したけれどもういいよ、とだけ言われて会話が終わってしまった。まぁフェミニズムの話だったんですけど。自分の話し方が悪かったのかもしれない。でもなんか寂しい気持ちになったな。

 

ceroのorphansのPVの途中、3:57からの「あぁ 神様の気まぐれなその御手に 掬いあげられて」という歌詞の部分でボーカルの高城さんがやっているハンドサインがキリスト教の祈りじゃなくて仏教のハンドサインなんですけど。このハンドサイン右手が「摂取不捨印(人々を決して見捨てることはないという阿弥陀如来の慈悲を表す)」左手が「与願印(仏さまがわたしたちの願いを聞き届けようとしてくれている)」になってます。

この2つの印がペアで使われることはあまり見たことがないので、単に撮影のときにぱっと出てきただけのものだと思うんですが、この曲がもともと「夫のちんぽが入らない」という本の一文

私たちが本当は血のつながった兄妹で、

間違えを起こさないように神様が細工をしたとしか思えないのです

ここから着想したと知って、偶然生まれたこの神様の手、あまりに本の内容に対して救いがありすぎる…ッとなってしまい一人で勝手にエモくなってしまっていた。多分本を読んでない人には何を言っているんだこいつと思われると思うのですが、あらすじだけでもググってください。この本、知り合いの男性に貸したりプレゼントしまくったな。泣きそう。ビール飲んで寝ます

※著者のこだまさんとcero高城さんのやりとりがまとめられています(https://togetter.com/li/1074622


cero / Orphans【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)