友人2人が遊びにきたので散歩をしたりクレヨンしんちゃんの映画を観たりくら寿司に行ったりした。くら寿司のびっくらポンがあまりに当たらなくて、ほかのテーブルの人たちのびっくらポンの様子を注視していた。二人組のカップルが開始早々当たってて悔しかった。あと大事な約束にそなえて髪切ったりしました。

 

高校生の頃からこのバンドがずっと好きだ。ボーカルがステージからぶん投げたビール瓶がわたしに直撃して打ち上げで謝られたり、PVに出たり、朝からクスリキメた状態でメンバーが公衆電話から電話をかけてきたりしていた。

自分がバンドに対してシルエットの美しさを求めるようになったのは間違いなくこのバンドと昆虫キッズの影響だと思う。よって各々がソロでやっている活動などにはあまりのめりこまなかった。とにかくライブがかっこよすぎて、行きたい!という気持ちとなにが起こるかわからんしな……(フロントマンはステージで割腹自殺しようとしたことがある)のせめぎあいをしつつも毎回片道一時間半かけて新宿渋谷高円寺と色々なライブハウスに行った。けっして持ち時間を守らないバンドで、40分の尺なのに90分やったりしてた。変なバンドだけどかっこよくて、一緒に観に行っていた高校の友人はこのバンドにあこがれてバンドを組んだが、同様に持ち時間を守らなかったせいで出禁になったライブハウスがあるらしくて笑ってしまった。

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わたしはテラスハウスと言う番組を観ていた。恋愛観を語り合ったり、家の中や外で起きる自分と他者との衝突を、それが前後の文脈のはぶかれた瞬間の切り取りの出来事で印象操作があるってことはわかったうえで彼彼女らの会話や、恋愛を楽しんで観ていた。それと同時に、ここ最近の「こんなのはテラハで見たいわけじゃないんだけどな…」というシーンの数々に対してもやもやした気持ちを抱いていた。製作者側の悪い意味での人心掌握術が駆使された演出がどうしてもいやな場面がいくつかあった。

結局、圧倒的に足りていないのはこちら側のリテラシーだと思っている。(メンタルケアする人が不在問題もあるけど、その辺は詳細がわかっていないので除く)わたしは「有名税」なんてものは存在するべきでないと思うし、「テレビに出る覚悟」、それが無抵抗で殴られることを受け入れるという意味だなんて全く思えない。

さんざん言われてるだろうけど、スルースキル(暴力に耐えるという意味)なんてものがあるとしたらそれは超超超SS級のスキルで、当人が便利に使う分には構わないが、周囲がそれを要求していいものじゃない。そして仮にスルースキルを身に着ける必要があるとしたら、それは気に入らない人間をわざわざ視界に入れて誹謗中傷したりリンチする側のほうに決まっている。

SNSやめればよかったじゃんとか、出演した時点で想定できたはずの自己責任論とか、外国人メンバーと女性にはアンチコメントがつきやすいと言う現実、誹謗中傷につく♡いいねの数と承認欲求とか、ほかの出演メンバーやアンチコメントに「人殺し」ってリプライする戦犯探しとか、花ちゃんの元カレを自称するユーチューバーのアクセス稼ぎ、頭がぐるぐるしてくる。訃報を知った友人が、テラハを見てる友達との飲みの席などで花ちゃんをディスってしまったことに対して罪悪感を感じていた。非当事者である私たちが非当事者同士で話し合う場にすら罪悪感を感じるのも納得するほど、他人の正義が怖い。叩いていい相手が花ちゃんから花ちゃんを中傷した人間にうつっただけで、彼らの正義感のはけ口は変わる気配がないのだ。

自分がこうしてインターネットに書いている一文が見ず知らずの人や見知った誰かを傷つけたり不快にさせてるなんて高校生のころには気づいていた(2chで容姿についてとかブログの内容について叩かれたことあるし)。いつだって加害者であることを自覚しなければいけない。死んだら負けなんて言うけれど、生死を勝ち負けで語るのはやらない。生存バイアスに殴られるのは耐えられないくらい痛いから。あと仕事柄自殺した人の遺族に何度も会ったことがあるから。