この一か月ほどでバイトをやめ、大学を卒業し研修旅行に行き配属先で働き始めた。アルバイトでは最後の出勤日に歴代3番目の売り上げを出しとてもすがすがしかった。いろいろなものを失ったあとだったのでこの数字に支えられて3日くらい乗り切れた。卒業式はさして仲良くもない同じ学部の子と形式的な記念撮影をして足早に帰った。仕事の研修は福岡で一週間ほど。毎日3時間程度の睡眠でひたすら座学とグループワークをさせられる日々は地獄そのものだった。へらへらしながら過ごしていたから周りの子よりは少しだけ元気でいられたし、そこを見込まれて人事から良い評価をもらえた。

 

引っ越しが完了してから一か月弱、働き出してから約半月。ようやく生活のペースが作れてきた。朝は8時に起き化粧をして朝ご飯を食べてスーツに着替えて8時45分に家を出て徒歩10分の職場へ着く。リズムにさえのれればなんといったことはなくて、帰り道のスーパーで高いなぁなんて思いながら生野菜を買って、料理と洗濯とお風呂で一日は終わる。好きだった男の子に、しっかりしてるねと言われたい一心でやっていた家事はいまや働く自分を支える最低限のものだ。一人暮らしはさびしさよりもはるかに安心のほうが多くて、自分による自分のための日々がこんなに愛せるものだと思わなくて驚いている。

 

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わたしが22年間過ごしてきたあの部屋のことを、遠い昔のように思い出しながら洗濯物を畳んでいる。家事と仕事だけに追われて、おおよそ文化的とは言えない生活をしていることはわかっている。それでも前と同じで、そんなつもりじゃなかったのに、をなくすためにこんなに必死になっている。誰かとわかりあえる期待はいつまでたっても捨てきれず、キスは言葉足らずを補うための存在だと信じて疑わなかった。長いこと夢を見ていたんだなと気づいた。元カレに似た顔の男の子とデートをしては申し訳なさだけを抱いて一人の部屋に戻ってくる日々はもうやめた。新しい街の新しい温度に似合うように、はやく元気にならなくちゃ。孤独を孤独にするかそれ以上のなにかにするかを決めるのはわたしだから。

19日早起きをして引っ越し前に最後の買い物を済ませる。母と二人でホームセンターへ行った。小柄な母が嬉しそうに腕を組みながら私と歩く。春に降る雨の色って濃いグレーだよね、と話したらわかる、と言ってくれた。初めてクイックルワイパーを購入して家に帰ってから振り回して遊んでいたら父に怒られた。

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夜は東京女子流のメンバーが主演の「5つ数えれば君の夢」とトリプルファイヤーが音楽をやっている「サッドティー」を観た。やっぱり群像劇は見ていて面白い。まえに前田敦子が映画のなかでもとりわけ群像劇が好きって話してたのをテレビブロスのインタビューで見てすごくうれしかった記憶がある(私は前田敦子が好き)

東京女子流ちゃんの初主演、アイドル主演になぜか多いホラーものじゃなくてよかった~。「5つ数えれば君の夢」も先日みた「桐島、部活やめるってよ」も思春期特有の視野のせまさとか勘違いがたくさんあって観ていてむずがゆくなる。中高生のときって、必要以上に他人の感情に伝染されやすくて本当に嫌だった。他人と自分の境界線がゆるくなる感じが気持ち悪くて、吹奏楽部を辞めたのをよく覚えている。学校のなかではかわいくて人気者のリーダー格な女の子が、顔がよくて軽薄な他校の男子にあっさり騙されて冷たい言葉であしらわれるあたりに苦しくなりました。正直セリフまわしとか、個々の演技力とかつっこみたいポイントはいっぱいあるんですが、エンドロールの映像が最高なのでそれだけでも85分観た甲斐があると思います。美しいかどうかを自分の目で自分で決めることができた子だけが、学校のなかから抜け出すことができるんだと思う。


映画『 5つ数えれば君の夢 』予告編

「サッドティー」は面白かったしムカつくシーンだらけだったなぁ~。なかでも早稲田と園子の別れ話のシーンはつらかった。正直に話すことだけが美徳ではないけど、彼がそれを正しさだと信じ込んでる以上はそれ以上の答えって作れないんだよなぁとしみじみ思った。あと夕子と柏木の別れ話のシーンは柏木の無神経さに虚しさすら覚えた。作中で何回も繰り返される「ちゃんと好き」という言葉の意味を考えている。ちゃんと、とか正しい、とか良い悪い、誰が決めるのかわからないけどね。会いたいと思えれば、ほかに恋人がいても奪い取ろうと思えれば、二番目でも良いと思えれば、そういうのが「ちゃんと」好きなのか。倫理やモラルで測れないから恋愛はなによりも苦しい。


今泉力哉監督作品『サッドティー』予告編

毎日映画を二本観る機械になっている私を母が心配している。

18日このタイミングでなぜか年収二千万円の開業医をやっている友人に告白される。君をふった男より優しいよ、収入がいいよ、君の意見を尊重するよ、未来は明るいよと説得するような口ぶりで、その話し方は別れたくないと泣いたわたしをたしなめたときのかつての男の子たちにそっくりだった。理由や説得じゃなくて、会話がしたかった。もしかしたら私とこの人が手を取り合って笑いあう未来があったのかもしれない。ただ、いまは乾かない傷のことばかり考えてしまって、誰の手を取ることもできず先に進めないままこの話は静かに終わった。眠れない夜、起きあがれない朝、いくら寝ても足りない昼、体中にすきな気持ちが残っていても報われないという事実が私を殺しに布団のなかまでやってくる。恋人にふられてから21日目、初めて涙を流さずに一日を終えることができた。


宇多田ヒカル - Goodbye Happiness

東京、町中のすべてが恋人のために作られているように見えて大好きだった。明後日からは知らない土地の知らない部屋で、だいすきな漫画と服に囲まれて誰に知られることもなく村人Aになって生きていく。すべてにすべての事情があって、それを許さなきゃ生きていけなかった家からようやく離れて、一人のための暮らしをはじめる。

14日ようやく引っ越し先が判明。神奈川県の成れの果てのような地に一人暮らしをすることとなった。近所にはコンビニ、スーパー、ドラッグストアがあり念願だったTSUTAYAも徒歩圏内にあるそうで私は非常にうれしい。しかも今年一月にできたばかりの新築で追い炊き機能がついている。落ち込んでいた自分をはげますために7千円くらいするふろ用の椅子を買った。

 出勤前に本屋によって「私を連れて逃げて、お願い。」の最終巻を購入。わたしはほんっっとーにこの漫画が好きで、迷うことなく2016年の最高作品に挙げたい。みんな読んでください…お願いします…まわりに読んでる人いなくて悲しいです…

君は生きてるかわいさでいっぱいだ

そう言って別れた央治を思い出して日芽が泣きながら放つ

夢じゃないから苦しいんだわ

すばらしかったから苦しいんだわ

という台詞に涙が止まらない。恋愛の不格好で悲しいエゴの部分だけを集めたような物語だったけど、間違いなくこの二人にはお互いしかいなかったし、かけがえのない不格好ならそれはその人にとっての宝物だ。最後がハッピーエンドで本当によかった。かわいい二人には幸せになってもらいたい。

 

15日注文していたCASIOの時計が届いた。

[カシオ]CASIO MODEL NO.lq139e-9a LADIES[並行輸入品]
 

 どう贔屓目にみてもかわいい。時計はvida+とチープCASIOが好きで各3本ずつくらいを使い分けている。ゴールドだけど文字盤自体が小さいので派手すぎなくてよい。

夜は半分くらい寝ながら「夢売るふたり」を観た。冒頭の10数分でいきなりの火災シーン。衝撃だった。時間が経つほどに辛くなってきて、主人公は男の人生に便乗しないと幸せを得られないのだろうか、と悲しい気持ちになった。結婚という言葉に夢なんて全く持っていないが、劇中の二人がこんなさもしい思いをしてでも一緒にいたいと思えるのならそれはそれで夢のある話なのかもしれない。間違いなく誰も幸せにならない嘘だけど、それでも騙されてみようと思える瞬間は私の記憶にもいくつかあった。


夢売るふたり

 

16日「はやくぼけたばあちゃんになってすべての苦しみもすきな人の名前も忘れたい」と真夜中にツイッターにつぶやいていた。そこそこ真理だし本音だと思う。この日は「メゾン・ド・ヒミコ」を観た。8~9年前くらいに深夜に地上波でやっていたのを祖母の家に泊まった時に観た記憶がある。話の内容を全く覚えていなかったので再度レンタルして観てみた。


メゾン・ド・ヒミコ

とにかくオダギリジョーの若く美しい姿がこんな最高な形で映像に残っていることに奇跡を感じずにはいられない。「う、う、う、美しい~~」とマジで声にでた。オダギリジョー演じる春彦のアンバランスさが愛さずにはいられないし、柴咲コウ演じる沙織の、大人びた顔立ちに似合わず感情がすぐ顔に出ちゃうあたりの子供っぽさに惹かれる。未来のない人たちが一箇所に集まって暮らしている姿にものすごい空虚な匂いを感じたけど、季節を大切にして美しいものに感動しながら生きる人々の姿はそれだけで勇気をもらえる。終始もの悲しさに溢れている上に、何も解決しないまま漫然と時間が流れていく様子に苛立つ人もいるかもしれないけど、ラストシーンのオダギリジョー柴咲コウの笑顔を見て、なにかが解決しなくてもハッピーエンドは作れるよ、やっぱり、と思った。

映画を見終えてからは表参道へ、別れた恋人に選んでもらった高い眼鏡が出来上がったらしいので受け取りにいった。クレイトンフランクリンのメガネ、めっちゃ小顔に見えます。

 

17日朝から購入した家具の搬入にamazonの荷物の受け取り、映画を二本観るなど珍しく活動的だった。リサイクルショップで見つけたソファは座り心地もよいし、ボディの木の色味が深い茶色で落ち着いた雰囲気で気に入っている。20日から新しい街で生活を始めるので少しずつ心の準備を始めている。映画は柳楽優弥が観たかったので「誰も知らない」と「星になった少年」を。感想は後日。夜はアルバイト。チェキ20枚くらい撮ったのでさすがに疲れた。

11日東日本大震災からはや五年。テレビもラジオも新聞もネットニュースも街行く人も、みんな同じ話をしている。震災があってよかった、日頃の生活のかけがえのなさや命の大切さが知れた、と言ったクソ男のことは一生忘れないだろう。そんな形でしか命の大切さが知れないのならそれは貧しいことだ。嘘を嘘だとみんなが気づいてしまい、全部が狂ってしまった国だけど、それでもまだここで頑張りたいと思った。東京、家族、アルバイト、将来の夢、好きなアイドルを守るためにはそれしかない。


THE BACK HORN - 未来

12日つらいことが重なると気持ちが浮ついて強い力を持つものに引っ張られてしまう。そのせいか毎日の映画や音楽が響きすぎて体がもたない。aikoがなにかのインタビューで「もう自分と一緒にいなくても、好きになった人が生きてればいいか、って思ったりする。」と話していたのを思い出した。好きな人ができるたびにアイワナビーユアガールフレンドって思っていたけど、ずっと友達でいてたまに一緒にごはん食べてわたしだけが後ろめたさを抱えてればいいのなら、それもありなのかもしれない。別れた人との似たような色合いの思い出ばかりかき集めて手遊びをしている。姉がリビングで声をあげながら泣いている私を見て「筋トレをするぞ、筋トレはつらいことを忘れさせてくれる」と言ってくれた。おねえちゃん、だいすき。

 

13日祖母の告別式。祖母の骨壺を抱いて自宅へと帰った。いなくなった実感より、はるかにそばにいる実感が強い。親族同士の付き合いは思ったほど苦ではなく、ビールを飲んでいたら終わっていた。私の今後の楽しみは所得税のない給与と一人暮らし先での料理くらいだ。つとめて明るく、楽しく生きることだけ考えて過ごすしかない。

10日いまだに引っ越し先がわからずもやもやとする日々が続いている。今日は日払いのアルバイトだった。疲れ切った帰り道、なにかひとつでもかわいいものを買わないと自分の大切な部分が削り取られたまま戻らない気がして、新しいカバンと時計とDHCのグリーンのアイシャドウとハンカチを買った。別れた恋人の好きそうなカバンと好きなブランドのハンカチだった。こうやって見えないところで影響を受け続ける。仕方ない、人が人を好きになるというのはそういうことだ。嫌いなやつのことはいくらだって忘れてやるけど、大好きな人は絶対に忘れてやらない。こんな形で憎しみより強い愛情を思い知らされる。人がその過程を呪いと呼ぼうがぜんぜんかまわない。随時更新されていく悲しみに負けないようにと、お守りとして持っている愛情を、いつまでも抱いていたいようなすぐにでも手放したいような、どちらともつかないところで道に迷っては持て余している。

 

今日は「桐島、部活やめるってよ」を観た。モブキャラだった中学時代を思い出しては身がよじれそうだった。6人一組の班作りでギャル2人と運動部のエースの男子3人と同じになったときは本気で死を考えた(給食をその6人で食べなきゃいけない)。高校でスクールカースト1.5軍になってからは1軍の孤独も2軍のなれ合いも無くてそこそこ楽だった。軽音部の副会長で特進クラス、年上の彼氏もいたけど音楽の趣味だけが絶望的なまでに少数派だったからカラオケにはあまり行かなかった。モブ以上主役未満になることがハッピーエンドの近道だともっと早く教えてもらいたかったし、映画の中の彼らもそのうちそれを学ぶだろう。終始橋本愛の美しさとバトミントン部という設定の完璧さにうそくささを感じていたが、スクールカースト下位のものから見た上位のもののまぶしさって、あんくらい強かったよなぁとしみじみ思い出した。


映画『桐島、部活やめるってよ』予告編

 人と話すことはインプットとアウトプットを繰り返すことだ。毎週末のように恋人と繰り返してきたやりとりをなくした今、インプットの欲望を満たすためだけに毎日映画を見続けている。

 

23時からはEテレでやっている浦沢直樹の「漫勉」を観た。花沢健吾アイアムアヒーローの書き込みをみて感じていたことがそっくりそのまま話されていてすごくすっきり。それにしてもいつ見ても漫画が人の手で描かれる工程には感動させられる…。皆さんが読んでいる漫画、あれ人の手で作られてるんだよ?やばくない?漫画が500~1000円強の価格帯で買える奇跡にマジ感謝です。Eテレいつも面白い番組ばかりやっていて、引っ越したらEテレと嵐の出ている番組しか見なくなる気がする。

9日昨夜はTSUTAYAで借りていた「ジョゼと虎と魚たち」を観た。恋愛の幸せの陰には必ず泣いている人がいることを思い出した。わたしが切り捨ててきたたくさんの男の子たちと、わたしから男の子を奪っていったたくさんの女の子の顔が思い浮かぶ。ジョゼの執着と諦めの具合に恒夫が惹かれていくのもわかる。人はあんなに色々な物を諦めて生きていけない。恒夫は自分がジョゼから逃げたことを「もっと良い人がいる」とか「お互いのため」とかいう大義名分に預けずに受け入れただけでも、十分に賢くて優しい男だと思った。優しさとは自分の幸福の後ろに泣いている人がいることを忘れないことだ。余談だが映画のなかで妻夫木くん演じる恒夫が身に着けていたアイテム(モッズコート、グレーのパーカー、ぼろぼろのジーンズ)が別れた人のファッションそのものでちょっと泣いた。一人で部屋にいて何もしないでいるとどんどん涙が出てくるので、自分のメンタルを自分で調整するために毎日のように映画を観たり引っ越しのための準備をしている。

 


ジョゼと虎と魚たち 特報

 

ふと思い立ちくるりのベストアルバムって何年前にでたんだっけな、と調べなおしたらなんと10年前。当時12歳だった私は「ハイウェイ」と「How To Go」ばかり聴いていたのを思い出した。岸田繁が既婚者であることにショックを受けていたのもこの頃だが、いまは間違いなく達身一択なので傷は癒えるし好みは変わるものだ。

ベストオブくるり/ TOWER OF MUSIC LOVER

ベストオブくるり/ TOWER OF MUSIC LOVER

 

 

この日の夜は「横道世之介」を観た。月9で高良健吾演じる練くんを観ていてあまりにつらくなり、「明るい練くんが見たいよ…」と思い借りてきた。全160分、人に紹介するにはあまりにコンパクトさに欠けるがあたたかみのある映像と、高良健吾演じる横道世之介が関わったたくさんの人を幸せにしていく姿を見て、そのあまりの天使っぷりに完全に心を奪われ2ループしました。吉高由里子のお嬢様言葉には違和感があったけど、ハンバーガーショップやプール、海や大学やお互いの実家、住んでいるアパートや病院、バスの停留所といった様々な場所を共有していく姿が、恋人同士なら当たり前なのだろうけどすごく特別に感じられて胸がきゅうとなった。


映画『横道世之介』予告編

 

引っ越し先の近くにTSUTAYAがあるといいなぁ。母には「ネットで選んでポストで返却」のやつでいいじゃん、と言われましたが、私はパッケージとかタイトルとかに惹かれてディスクを手に取りたいんだよ…。と言ったら姉に「世の中にはこういうやつが一定数いる(から実店舗がなくならない)」といわれた。CDショップとかもそうだけど、守りたい場所にはどんどんお金を落としていこうと心に決めている。