なぜかここ一年くらい、西出身の人ばかりからモテる。出身地を把握している人だけでも京都、大阪、名古屋、高知、香川、広島。モテることに関してかなり悩んでいるのだが、よほど親しい人じゃないと自慢話だと思われそうでなかなか相談できない。たいてい男の人にモテるときは持ち前の無害な側面を求められるか、自分の幸薄さや体の弱さ、家庭環境を哀れまれて、なにかしてあげたいという大変親切かつ身勝手な感情由来でさしてほしくもないものをもらったり、望んでもいない関係を提供されそうになったりする。こういうむなしさを覚える上に、一言付き合えませんの言葉だけで築いてきた人間関係があっという間に崩れてしまう。モテたいだなんていったい誰が思うんだろうか。

わたしの好きな人は、わたしが今まで女でいるからという理由で他人から配られてきたカードをすべて手札ゼロに戻してくれて、それでいて少女性を殺さないでくれる、奇跡みたいなバランス感覚の人なのだ。私の愛より尊い同情が存在するなら今すぐこの場で証明しろよ。腑抜けに殴られるほどのろまじゃないし、無神経に愛されるのが苦痛でしかたなくて、魂の相違に鈍感な人間にどうして正気でいられるのか説明させたくて首根っこ掴んでしまう。愚かしくても、情けなくても人間関係をまっとうしたいから一生懸命話しているのに、どうしてわかってもらえないの?きもちわる。カップラーメンできるより絶望の速度は速くて3分間で夏は終わる。生理が終わってしまえば、皮膚の下に何リットルもの血が流れていることも忘れてしまう。

 

コロナウイルスの影響でしばらく外でデートをしていなかったけど、好きな子と久しぶりに外出した。猫カフェに行って、フードコートでたこ焼き食べて、もののけ姫を観た。最近にしては珍しく天気が良くて、暑い一日だった。この男の子とも知り合ってもう一年か、と去年と同じ夏服を着て会った時にふと思い出した。

 

マッチングアプリで知り合った人と串カツ屋でごはんを食べた。その後友人の家でB級映画を2本、ドキュメンタリーを1本観た。こないだ好きな果物の話をしたばかりだったので、おみやげで果物を持って行った。ももの産毛は美しいし2つ連なったさくらんぼは兄妹みたいでかわいい。江口寿史のTシャツをプレゼントでもらったので着て自撮りした。最近髪を切ったからかTシャツが良く似合う。暑くなる、わたしは夏が一番好きだから箪笥のなかはノースリーブでいっぱいだ。楽しい予定を立てなければあっというまに壊れて消えてしまうから、少しでも夏の寿命を永らえるために次に会う時は花火でもして、かき氷を食べよう。


カネコアヤノ - 祝日

父の日であることをすっかり忘れていた。姉夫婦と兄夫婦はそろって実家に帰って顔を合わせてごはんを食べていたらしい。見せる孫の顔もないし、この手の家族イベントにハブられがちである。当日は友人二人と買い物をした。わたしは骨格診断的なものだとウェーブ体系に該当するようだが、そこで推奨されるようなシルエットの服や素材を着るとなぜかやたらとドレッシーになってしまうので、地道にひとつずつお店をまわって試着をする方がはるかに打率が高いのである。

今年はあまり好きな服が見つからなかったけれど、マーキュリーデュオでアイボリーのデニムのワンピースを試着したところ友人に絶賛されたので買った。金曜に映画を観に行くのでそのときにおろそうと思う。あとこういう映画に誘ってくれる友人がいるのは本当にありがたい。

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コンタクトにしてからというものの、ずいぶん視力が落ちた気がする。最近よくコンタクトを外さずに寝てしまうのだが、それが原因なのだろうか。

 

先日、異性にものすごく嫌な思いをさせられることがあって、帰り道で頭がパンクしてしまい友人に迎えに来てもらった。わたしはそこそこ有名な会社に勤めていて、ものすごく美人でもなければ不細工でもない、メンヘラだと言われるような極端な不安定さもあまり人前でださないし、頭は良くないけど会話に困るほどではないし、あまり悪口を言わない。そういう害のなさを理由に好かれることがすごく多い。それらはもちろん先天的なものではなく、コンプレックスを殺すため、社会的な生きやすさを手に入れるために自分で積み上げてきたことの結果なのだから、そこを好意的にとらえられるのは正しいことなのかもしれない。

でもわたしは減点なしみたいな理由でなんか好かれたくない、消極的な好意はほしくないし、めんどくさくてたくましいわたしを愛してほしい、とアルコールのせいで支離滅裂になりながらも精一杯の日本語で泣きながら話した。友人は困った顔一つせずにわたしの良いところを丁寧に挙げてくれて、消去法なんかできみのこと選んでないし、何言ってるのかすごくよくわかるよ、とつぶやいてアイスとビールを買ってくれた。こんなにわかりやすくストレートな言葉で生身の人間に救われたのが久しぶりだった。こういう夜は一生にそう何度もあるわけじゃない、特別を特別だとわかるためのものを今までたくさん見てきたから、神様がきまぐれにくれた時間なのだと思った。朝になったら帰らなきゃいけないから、日が昇るまでの間に何度も何度もお礼を言った。

MAMA 1巻 (バンチコミックス)

MAMA 1巻 (バンチコミックス)

 

帰宅して、売野機子の最高傑作MAMAを読んで一巻ごとに二回ずつくらい泣く。自分で淹れたアイスティーを飲んで少し長めにお風呂に入って、明日もきっと嫌なことはあるだろうけど少しだけがんばろうと思った。

 


BASI / かさぶた(Official Video)

数か月ぶりに会った女友達がむき出しの発泡酒を12本持ってニコニコとあらわれた。パクチー餃子を一緒に包んで焼く。もはや趣味と化している餃子作りだが、合いびき肉で作るパクチー餃子と豚ひき肉と山ほどの生姜チューブとしめじで作る餃子を超えるものは今のところ作れていない。男の子にピアスを開けてもらうかもと話したら「めっちゃいい!!矢沢あいの世界観じゃん」と言われてやはりこの女とは魂を共にしている……と実感した。彼女からプレゼントでもらったティントつけたら顔色が明るくなって嬉しかった。

 

近くに住んでいる男性と週1くらいで会ってお酒を飲んだり飲まなかったり、政治、アイドル、映画、テラハ、ファッション、デパコスの話をする。彼はフリーランスなので平日休みのわたしと予定が合うのだ。この友人の話をすると、どうせ寝てるんでしょといったニュアンスで切り返されることが多いのだけどそういう起承転結しか思い描けない人ってほんとにつまんないやつばっかだし、相手のセクシャリティのこととか想像してないよね。金曜は彼と東京都現代美術館オラファー・エリアソンの展示を見に行き、時間がちょうどよかったので「ストーリーオブマイライフ/わたしの若草物語」を観た。映画はいまいちだったけれどわたしは三人兄姉の末っ子に生まれたせいか、兄妹ものにすぐ感情移入するので長女の結婚シーンで一度泣いた。

 

最近ナンプラーを買ったのでタイ料理みたいな味のものを量産している。ナンプラーはくさいけどうまい。常に最先端を行く人間なのですでに体調は絶不調、安定の夏バテしていて、一応ごはんは作るがあまり食べられない。ヨーグルトとビールで乗り切ろうと思う。リッキーくんからインスタのDMでおすすめの漫画を教えてもらった。同年代の男の子がどんなものを読んでいるのかあまり知らないのですごくありがたかった。わたしからも何冊か紹介する。漫画は良い……。

花と頬 (楽園コミックス)

花と頬 (楽園コミックス)

  • 作者:イトイ圭
  • 発売日: 2019/09/30
  • メディア: コミック
 

一年に一度、本を20冊くらい買って一年くらいかけてそれらを読み、売るなり人にあげるなりして本棚を空にして一年後にまた20冊くらい買う。別に誰に教えられたでもないこの謎の読書習慣が大学の時くらいから続いている。ネイルの色を深めのエメラルドグリーンにしたら中公新書のカバーと同じ色になった。芸能人の不倫が話題なので思い出したように吉本ばななの「不倫と南米」を買って読む。

不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)

不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)

 

 

他人に期待しない、というと薄情な人間だと思われるけれど、わたしにとって期待しないというのは「誰かがわたしのために何かしてくれること」を期待しないという意味で、人間という生き物そのものに期待していないという話ではない。自分の伏線は自分で回収しないととっちらかってしまうし、その方が何かと都合が良い。自分のことが分からない、それでは他人といるのと同じになってしまう。自分のなかによくわからない他人が住んでいるのは不気味だ。感情を水でさらって、死にたさやなつかしさやエモさの薄皮を最後の一枚まではがして裸の言葉にしておかないと、わたしはわたしの説明がつかなくなってしまう。だから映画を観て本を読んで漫画を読んで仕事をして音楽を聴いて誰かと恋愛をして、わたしが私のなかの他人と会話をするための言葉を選んで、わかり合えるように努力している。わたしは自分で自分の顔を見ることができない。一個体としての「他人」になれないけれど、内側にいる最も身近な他人と会話ができる。わかりあうなら、話し合うなら、なにかを期待するなら、自分だった。

だから惰性とその場しのぎの言葉遣いを見逃せないし、自分のこともろくに考えずに「他人とわかりあいたい」みたいな妄言を生きづらさを言い訳に被害者面してうだうだとくっちゃべるやつが大嫌いだ。そういう男に対して劣情を催すことはあるけれど(本当に悪い癖だと思う)、恋愛をする機会はないだろう。別に自分が優れた強い人間だとも思わないし、弱い人間を大切にしたいと思うけれど、わたしは弱さに無自覚な人を認められない。そういう人間だということに26年生きて最近少しずつ気づいてきた。でもそれにも絶対に理由があるから、それを考えなくちゃと思う。そしてそんな頭のおかしいことをしても気が狂わない程度には自分は図太い人間なんだなと思った。


Faye Webster - Kingston

洋服を買いたいけれど、どこもかしこも閉まっているせいでネットショッピングのスキルが上がった気がする。試着しないで服を買うのが怖くて普段はルミネやらパルコやらを上から下まで一周して買い物していたが、いまはそうもいかない。ミスらないコツは自分の体の特徴を知ること。わたしは肘上が短くて、首と胴が細長くて、おしりが小さく足が太い。とりあえずそこをカバーできる服であれば試着しなくても意外となんとかなるということがわかった。化粧品も同様。既存のラインナップの色味をみることでなんとなく何色が似合うか似合わないかわかるようになってきた。着たい服きてつけたい色つけるのが心には一番いいんだろうけど、やっぱかわいいと思う服と自分がかわいくなれる服って微妙に違うんだな。いまはかわいいと思われたい時期。

ただ服も本もTSUTAYAもそうだけど、店にいって思いもよらないものに出会うみたいなの、めっちゃやりたくて仕方がない……

 

あげくの果てのカノンを久しぶりに読み返して自分と主人公との親和性に鳥肌を立てた。

信仰なのか恋愛なのか執着なのか。10代の終わりのころ、好きな人を神様にするのをやめてから、ずいぶん他人にやさしくできるようになった気がする。でも誰かひとりのことを思い生きがいにして、それにまつわるすべての事象を愛せるのなら、それはむしろこちらが神様になったのと同義なのではないだろうか。うまくいってると思っているときはたいてい落とし穴の一歩手前にいるだけとわかっているし、なんとなくぼんやりと好きな人がどこかへいってしまう気配みたいなのを感じている。勘違いであってほしいと思う気持ちと高望みする自分への戒めを行ったり来たりしている。

 

昨日海を見に行った。わたしは青い穏やかな海もグレーに泡立つ不穏な海も好きだ。溺れたって、泳ぎ切ったって、都合よく何かに裏切られたり肯定されたと勝手に思える、認知のゆがみを正さず想像力の幅を殺さずにいてくれるから自然が好きだ。せいぜい数時間しか持続しないであろうとふんで軽んじられることが多い感情が積み重なって、津波のようにどっと押し寄せる夜がある。夜が過ぎるのはながい、汗が乾くより先に終わってくれと切に願う。エモいとか、使い古された形容詞の未来を心配しては何とかやり過ごす。観光地にあるしょーもない喫茶店でしょーもないオムライスを食べるロマンを共有したいとか思う。特別は二人きりでも作れるって過信させるよ。一人分のご飯を作るのはめんどくさい、餃子の皮が死ぬほど余る。花の美しさを愛でたいのではなく花を見て美しいねと語り合う時間がほしいから花を買うんだと気づいた。ご存知の通り酒を飲んでいる。一緒に過ごした駅を歩いて、思い出のある店が開いたり閉まったりしてるのを当然だと思いながら当然のように傷ついて、手に取れるくらい具現化された心臓の痛みを大切に携えては、海のはじっこから時計台まで来た。この町はわたしのものではないが、ほんの数百メートル、去年の夏流れた汗の分だけ、たしかにこの道はわたしの世界の中心にあった。

 

宇多田ヒカルの新曲の歌詞、「一人で生きるより 永久に傷つきたい」と言う歌詞がエヴァンゲリオンそのもので、宇多田ヒカルってほんとにあの世界観を地で生きてる人間なんだな……と思った。物を作る人のすべてが、誰かにとって永遠に癒えない傷をつけてしまう可能性を抱いたまま物を作って居たら、今より少しだけ悲しいことは減るような気がする。謎のスイッチが入ってしまい夜通し宇多田ヒカルのアルバムを聴いていた。このブログ、好きな人に見られているしそろそろ書く内容をあらためようと思う。


宇多田ヒカル、新曲「誰にも言わない」を先行公開 新CMで雄大な滝を前にすがすがしい表情 詩も朗読

友人2人が遊びにきたので散歩をしたりクレヨンしんちゃんの映画を観たりくら寿司に行ったりした。くら寿司のびっくらポンがあまりに当たらなくて、ほかのテーブルの人たちのびっくらポンの様子を注視していた。二人組のカップルが開始早々当たってて悔しかった。あと大事な約束にそなえて髪切ったりしました。

 

高校生の頃からこのバンドがずっと好きだ。ボーカルがステージからぶん投げたビール瓶がわたしに直撃して打ち上げで謝られたり、PVに出たり、朝からクスリキメた状態でメンバーが公衆電話から電話をかけてきたりしていた。

自分がバンドに対してシルエットの美しさを求めるようになったのは間違いなくこのバンドと昆虫キッズの影響だと思う。よって各々がソロでやっている活動などにはあまりのめりこまなかった。とにかくライブがかっこよすぎて、行きたい!という気持ちとなにが起こるかわからんしな……(フロントマンはステージで割腹自殺しようとしたことがある)のせめぎあいをしつつも毎回片道一時間半かけて新宿渋谷高円寺と色々なライブハウスに行った。けっして持ち時間を守らないバンドで、40分の尺なのに90分やったりしてた。変なバンドだけどかっこよくて、一緒に観に行っていた高校の友人はこのバンドにあこがれてバンドを組んだが、同様に持ち時間を守らなかったせいで出禁になったライブハウスがあるらしくて笑ってしまった。

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わたしはテラスハウスと言う番組を観ていた。恋愛観を語り合ったり、家の中や外で起きる自分と他者との衝突を、それが前後の文脈のはぶかれた瞬間の切り取りの出来事で印象操作があるってことはわかったうえで彼彼女らの会話や、恋愛を楽しんで観ていた。それと同時に、ここ最近の「こんなのはテラハで見たいわけじゃないんだけどな…」というシーンの数々に対してもやもやした気持ちを抱いていた。製作者側の悪い意味での人心掌握術が駆使された演出がどうしてもいやな場面がいくつかあった。

結局、圧倒的に足りていないのはこちら側のリテラシーだと思っている。(メンタルケアする人が不在問題もあるけど、その辺は詳細がわかっていないので除く)わたしは「有名税」なんてものは存在するべきでないと思うし、「テレビに出る覚悟」、それが無抵抗で殴られることを受け入れるという意味だなんて全く思えない。

さんざん言われてるだろうけど、スルースキル(暴力に耐えるという意味)なんてものがあるとしたらそれは超超超SS級のスキルで、当人が便利に使う分には構わないが、周囲がそれを要求していいものじゃない。そして仮にスルースキルを身に着ける必要があるとしたら、それは気に入らない人間をわざわざ視界に入れて誹謗中傷したりリンチする側のほうに決まっている。

SNSやめればよかったじゃんとか、出演した時点で想定できたはずの自己責任論とか、外国人メンバーと女性にはアンチコメントがつきやすいと言う現実、誹謗中傷につく♡いいねの数と承認欲求とか、ほかの出演メンバーやアンチコメントに「人殺し」ってリプライする戦犯探しとか、花ちゃんの元カレを自称するユーチューバーのアクセス稼ぎ、頭がぐるぐるしてくる。訃報を知った友人が、テラハを見てる友達との飲みの席などで花ちゃんをディスってしまったことに対して罪悪感を感じていた。非当事者である私たちが非当事者同士で話し合う場にすら罪悪感を感じるのも納得するほど、他人の正義が怖い。叩いていい相手が花ちゃんから花ちゃんを中傷した人間にうつっただけで、彼らの正義感のはけ口は変わる気配がないのだ。

自分がこうしてインターネットに書いている一文が見ず知らずの人や見知った誰かを傷つけたり不快にさせてるなんて高校生のころには気づいていた(2chで容姿についてとかブログの内容について叩かれたことあるし)。いつだって加害者であることを自覚しなければいけない。死んだら負けなんて言うけれど、生死を勝ち負けで語るのはやらない。生存バイアスに殴られるのは耐えられないくらい痛いから。あと仕事柄自殺した人の遺族に何度も会ったことがあるから。

 

線路沿いの公園にでかけてマックを食べた。普段マクドナルドに行かない(そもそも最寄り駅にマックが存在しない)ので、事前に注文するものを決めておかないと絶対に混乱してしまう。チキンチーズバーガーのセットを買う。レモンサワーとビールを交互に飲みながら、おそらく同い年ないしは数個上であろう子連れのご夫婦を眺める。明らかにこぎれいな格好をしているから大丈夫だろう、と思いつつも昼間から公園で飲酒しているといつ通報されるのだろうかとひやひやしてしまう。なぜ公園の公衆トイレの床は常にビチャビチャなんだろうかとか考えたけど結論は出なかった。あとなぜか公園で巨大なイグアナとリクガメを散歩してるおじさんがいたので触らせてもらった。

前日の夜、友人とoficial髭男dismの「Pretender」にケチをつけながら酒を飲む会をしていたが、酔いがさめたあと、あの歌詞はわたしが高校時代からの女友達にかつて抱いていた感情と同じじゃないか……と気づいてぞっとした。

 

交互に高熱を出して一緒に行った病院とか、江ノ島水族館の照明が落としたほの暗い影とか、馬鹿みたいに重たいリュックから出てくるたばことか、A面B面みたいに裏返してすぐに再生させてほしい。デートに行けないのに夏服何枚も買っちゃったよ。なんでそんなに優しくするの?とかよく人に聞かれるけど、わたしがあげる100の肯定が匿名の1の否定に簡単にひっくり返されることのないようにという祈りを行動にうつしてるだけ。

推しているアイドルグループの子が、雑誌の表紙をかけた課金バトルのために毎日三時間もラインライブで配信をしていて、見ててめちゃくちゃしんどくなる。順位に一喜一憂して、配信中に泣き出してしまう10代そこそこの彼女の姿を見て、たかだかサラリーマンの自分がかけられる言葉などなにもない……と沈黙しつつわたしができるのはこれだけと思い毎配信ごとにちまちま課金をしている。アイドルじゃなくてよかった、茶髪にしただけで他界されたらふつうに病んじゃうだろうし、メイド喫茶で働いてたとき前髪切っただけで推し変されたの思い出したわ。


「王道的なLOVEソング」リルネード(rirunede)

 

高校生の時ラーメンの話できないとバンドマンと会話になんなかったし、いまはコミュニティが変わったけどそれが深夜ラジオにすげかわっただけでカルチャーの踏み絵って一生おわんないよね。

粘土で作った恐竜の造形、首を細くしたらなんか二次元的な可愛さになるし、ぽてぽてした手触りの良さみたいなの絶対残さないと!3Dの可愛さを思い知れと思いながら試行錯誤した。油粘土を買って作っては壊しでもよかったけど、そうなるとただの手遊びで「作っている」ということに対して責任が持てなさそうだし、取り返しがつくものに対しては怠けがちな人間なので乾くとすぐダメになってしまう紙粘土にした。何度写真を撮っても本物のほうがかわいいので写真は割愛します。100均の紙粘土レビューを読むとどれもひび割れが~とか収縮率が~とか書いてあったけどひとまず気にならない感じだったので何種類か試してみて一番使い勝手のよさそうなものを見つけようと思う。

 

最近更新頻度高いですが、どういうときにブログ書いてるんですか?ってフォロワーに聞かれた。最近は、あーもう今日やなことあったしブログ書いちゃおみたいな。ちょっと良い入浴剤とか、ビールとか、パイの実みたいな。昔はルーティンワークの一環だったから書かないと気持ち悪いみたいな日もあったけど、急に1年更新止まったりもしたし、自分でもよくわからん。ただ、詫び石もログインボーナスももらえない毎日のなかにこんなものがあってほんっとに良かったと思う。ここ最近のブログを読んだ友達数人が「研ぎ澄まされててやばいね~サイコー!」とか「賑わってるね!」って連絡してきてむちゃくちゃ笑えた。

 

お湯で簡単オフと書かれていたマスカラは涙でも落ちる。どんだけ筋トレしたって健康になれないし、夜は薬飲まないと全然眠くなんない。たまにめちゃくちゃに自分を傷つけたくなるけど、君の下の名前の由来も聞いていないから死ねない。そうやっていくら生き伸ばしの動機付けしたって、LINEのアカウントが消えれば自動的に亡くなるんだから本当はそこまで頑張らなくたっていいのかも。結局心由来の美しさしか愛せないから、顔とか身長とかどーでもいいのにいつまでたっても好きなタイプ聞かれ続けるの疲れるよね。本棚片付けてたら借りパクされた小説のタイトル思い出したわ。「美学がないやつはなにしたってダメ」とかお母さん超厳しいこと言ってて遺伝子実感した母の日でした。

 

こないだ友達とビデオ通話したときに、youtubeの動画画面を共有できるというLINEの新機能を試してみようということになり昆虫キッズのWIDEを鑑賞。あまりの圧倒的かっこよさ、なんてバンドなんだ本当に。こんなかっこいいドラムもギターもベースも聞いたことなくない?完全な不完全なんてものが存在するとしたら間違いなくこのバンドそのものだ。ちなみにwikipediaで調べたところtextのリリースが10年前の夏と知ってめまいがした。


昆虫キッズ - WIDE